【チマチマ偉人列伝】 第4回畑中利元さん


 チマのメンバーがいつもお世話になっているユザワヤ。その03年3月決算を見て驚いた。売上げ高337億円、税引き後利益14億7600万円。02年は売上げ高80億円、税引き後利益2億8000万円だったから、1年間で売上4倍、利益5倍という驚異的な成長を遂げたことになる。
 「手作り」はハッキリ、ブームなのだ。
 とはいえ、ユザワヤがここまで来るには並大抵ではなかったらしい。ユザワヤ設立は昭和38年、前身は湯沢屋毛糸店。社長は創業時から畑中利元氏。専務、常務、監査役も一族で固めている同族経営だ。
 畑中さんは1930年生まれ。愛知県出身で実家はお寺。5人兄弟の末っ子だった。旧制中学を出て上京、日本橋の呉服問屋の丁稚になったが、ここが廃業になり、その後、タオル問屋、毛糸問屋と転々としたが、いずれも廃業に追い込まれてしまう。仕方なく自分で始めたのが湯沢屋毛糸店だったのだ。
 畑中なのに湯沢屋なのは、蒲田にある夫人の実家が湯沢姓だったから。最初は4坪の店だった。当たり前だが、毛糸は冬しか売れない。夏は傘、ブラウス、水着などを扱い、朝6時から11時まで店を開け、それから仕入れに行く毎日。毛糸屋が軌道に載り、資本金450万円で(株)ユザワヤを設立したのは1958年。手工芸の総合材料店に切り替えたのは1970年のことだ。
 「この世界は非常に地味で回転が悪く、利益が上がらない。だから、デパートはどんどん手工芸の売り場を縮小していった。でも手作りの文化を後世に伝えていきたいという使命感で、世界中から材料を集めてきたんです」(畑中社長、日刊ゲンダイ 98年一月八日号)
 このスタンスは70歳を過ぎた今も変わらない。社長自らしょっちゅう海外に出向き、材料の仕入れにあたっていると言う。おかげで今や、扱う品は70万アイテム。
 ということは、やっぱ、チマの材料は海外の方が豊富なわけです。一体、どこの国がチマ王国なんでしょうね。改めて、社長に聞いてみたくなりました。



(SHUNJI)
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